街に新しい地平線を建築化する
―アクロス福岡の国際設計競技―

プロダクトから都市建築までオールラウンド建築家

川口 英俊

1989年、日本はバブル期の中にありました。 街は活気に満ち溢れていて、特に、都市部においては怒濤のごとく鉄骨が組み上がり、工事現場の連立する風景は街中に幾つものジャングルジムが空に向かって伸びている感じでした。地面からニョキニョキとタケノコが急激なスピードで生えてくるのと似ていて、そして、私たちはそれを「ビル」と理解するのは簡単なことなのです。それは、地面に対して垂直方向の空に向かって建築物が伸びていく状況を「ビルのかたち」と日常的に認識しているからです。
当時、私はニューヨークの建築家の事務所で、米国内外の多くの建築プロジェクトに関わっていました。ある意味で色々な建築の「実験」が進行しており、その中でも、国際建築設計競技への参加は忘れがたいものです。それは福岡市に計画する「福岡県国際会館提案競技(当時の名称)」でした。これは、福岡市の天神にある旧福岡県庁跡地に計画された、事業者、施工者そして設計者が一体となって提案する設計競技でした。この敷地の北側はビジネス街の大通りに面し、一方の南側には天神中央公園という緑豊かな緑地帯が広がっていました。

©Emilio Ambasz & Associates Inc.

私たちは、「都市の中の公園と建築を一体化」できないか、「地上の空間に変わる斬新なオープンスペース」を、従来の典型的なビルの形に置き換えることは可能か、等と考えていました。そこで、この計画の敷地を公園まで延長したと考えて、“感覚的”にビジネス街の方から敷地をめくり上げて、公園側から連続してビジネス街に向かって上ってゆく大きな地面を考えました。つまり、めくり上げた地面(緑地帯)の下に要求されたホールやオフィスなどを、結果として建築空間として入れ込んだわけです。公園から連続して建築空間の屋根部分を階段状に上ってゆく公園、実際に人が登って利用できる公園を考えたのです。それを「ステップガーデン“Stepped Garden”」と名付けました。北側は大通りに対してそびえ立つ近代的なガラスの顔により、ビジネス街の活気を反映させました。
ニューヨークの事務所では、夜にスケッチを日本の建設会社に送ると、明くる日の朝には日本からの回答が事務所に届いているという、日本とニューヨークの12時間の時差を有効に使った24時間眠らないプロジェクトでした。そこには欧米の思考と、守らねばならない日本の法的な事情の間に大きなギャップもあり、初期段階のピュアなデザインとの乖離がいつも付きまとったものです。 1990年7月にこの案は見事に1位を獲得し、5年を経過した1995年3月に、地下4階、地上14階の建築は竣工し、アクロス福岡と命名されました。公園と近代的な建築物の大胆な組み合わせによるアクロス福岡は、日常認識しているビルの形式とは異なる考え方をして、同時に敷地の有効利用という都市が抱える共通の課題に対して解決策を示した都市建築なのです。
公園の地平線が連続して建築物と一体となる、このようにデザインアクセスの方向によっては、都市建築とは大変有意義な空間に変わる面白さがあるのです。

略歴

武蔵工業大学工学部建築学科卒業、早稲田大学大学院修了、イェール大学建築学部大学院修了。M.A.(Master of Architecture)建築修士。
Emilio Ambasz & Associates ニューヨーク事務所勤務(プロジェクトデザイナー・マネージャー)。現在、(株)アーキテクト・キューブ 一級建築士事務所 代表取締役(www.a-3.co.jp)一級建築士。
国内外で建築家として建築設計や空間提案を中心にCFPや不動産鑑定士などとプロジェクトチームによる企業再生に関わる他、プロダクトデザイナーとして商品開発のプロジェクトを実行している。

作品:アクロス福岡(基本計画)、マイカル三田ポロロッカ(現山西福祉記念会館)、The Phoenix Museum of History、Convent of The Holy Infant Jesus 等を担当;(EAA事務所)、大原山七福天寺(カナダグリーンデザイン賞受賞)、その他、住宅、集合住宅、事務所、医療建築等多数の建築設計や、外濠再生構想デザイン提案、椅子のデザイン、世界初の伝統工芸品を応用した「くみひもペン」kulisのデザイン開発。

担当科目

都市デザイン、空間デザイン演習(2)(3)ほか

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